春日ごよみ・花ごよみ/年中行事一覧


春日大社禰宜座狂言(かすがたいしゃねぎきょうげん)
春日大社禰宜座狂言1

春日大社は興福寺とならび薪能や若宮おん祭などを中心として金春流をはじめ各流の能・狂言の継承に大きな力を果たしてきましたが、春日の禰宜(神職)たちが演能活動を続けてきたことはあまり知られていません。鎮花祭には水谷能とよばれる能・狂言が奉納され、酒樽がひらかれる賑やかな催しがありました。この能・狂言を演じるのが禰宜衆でした。春日の御巫(みかんこ)や禰宜の中に芸能に堪能な者が多く、大社の記録には、貞和5年(1349)臨時祭に田楽や猿楽能が演じられたことが詳しく記されており、室町末期には禰宜の組織的な演能活動が可能なほどになり「風流等乱舞」から能・狂言へとその形を変えていきました。これらの禰宜衆は天正14年(1586)に秀吉の母大政所接待の能に郡山城に召されたり、文禄2年(1593)には秀吉によばれ九州の名護屋城での能に多くの禰宜が下向したり、また、下って江戸期元禄2年(1689)には仙洞御所での演能に40名余りの禰宜衆が参加していたことが記されていて、専門家に伍して堂々と演じていたことが伺えます。貞亨4年(1687)刊行の「奈良曝」には、奈良に住居する能役者の項で禰宜役者として69名(大夫6、脇8、狂言22、笛5、小鼓15、大鼓7、太鼓6)の住所氏名を記し、『此外地謡数知らず』と付記し、100人に近い禰宜役者が能楽を職業としていたことが知られます。


春日大社禰宜座狂言2幕末にはこれらの禰宜役者も衰散しましたが、この中にあって明治時代になっても大藏流狂言を習う人は多く、森川杜園や森勝次郎等の奈良の旦那衆の名がみられます。また、水谷能は1800年頃には途絶えていましたが昭和32年150年ぶりに狂言を復興し、その名も禰宜座狂言と名付け、その指導には大藏流二十四世宗家・大藏彌右衛門師を迎え、4月5日の鎮花祭の他、1月7日の御祈祷始式にも狂言奉納を行い、今日に至っています。現在では、会員も春日大社の神職をはじめ30余名を越え、先代の志を継ぎ二十五世宗家大藏彌太郎師を迎え月2回大社にて厳しい稽古を重ねています。


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