舞楽(ぶがく)その2
・和舞(やまとまい)
 和舞は大和の風俗舞で、春日社では古くから行われてきた。今、神主舞が四曲、諸司舞八曲及び進歌・立歌・柏酒歌・交替歌・神主舞前歌等が伝えられ ている。
 神主舞は一人または二人で、諸司舞は四人または六人にて舞われる。舞人は巻纓の冠に採物として榊の枝や桧扇をもち、青摺の小忌衣をつけ虎皮の尻鞘で飾られた太刀を佩く、諸司舞の四段以降は小忌衣の右袖をぬぐ、歌方は、和琴・笏拍子(歌)・神楽笛・篳篥及び付歌・琴持にて行われる。
 おん祭では神主舞一曲、諸司舞二曲が舞われるのが近年の例となっている。
・蘭陵王(らんりょうおう)=左舞
 中国・北斉の王、蘭陵王長恭という勇将が戦の終ったとき、諸軍士と平和を寿いだといわれている舞である。一説には印度から伝わった曲であるともいわれている。
 長恭は美青年であったため戦場におもむく時は、いつも恐ろしい面をつけ軍を指揮し、その武勇は轟いていたという。
 舞人は竜頭を頭上にし、あごをひもで吊り下げ金色の面をつけ、緋房のついた金色の桴をもち、朱の袍に雲竜を表した裲襠装束をつけて勇壮に舞う、舞楽の中でも最も代表的なものの一つである。
・納曽利(なそり)=右舞
 伝来不詳であるが、竜の舞い遊ぶさまを表した曲といわれ、破と急の二楽章から成る曲である。竜を象どった吊りあごの面をつけ、毛べりの裲襠装束を着け銀色のをの桴をもって舞う。
 蘭陵王とともに一対をなし、競馬の勝負舞として右方の勝者を祝って奏されるものである。

・散手(さんじゅ)=左舞
 散手破陣楽といい、林邑五破陣楽の一つの雄壮な武舞である。
 これは神功皇后の時に率川(いさがわ)明神が先頭にたって軍士を指揮したさまをあらわしたものといわれている。
 舞人は赤い隆鼻黒髭の威厳のある面をつけ別様の鳥甲をかぶり、毛べりの裲襠装束を着け、太刀を佩き、鉾をもって舞う。
 その舞い振りは勇壮活発で、武将らしい荘重な感じが漂っている。一人舞である。序と破が伝わっている。

・貴徳(きとく)=右舞
 漢の宣帝の神爵年間に匈奴の日逐王が漢に降伏し貴徳侯になったという故事によっている。舞人は白い隆鼻白髭の面をつけ、別様の鳥甲をかぶり、毛べりの裲襠装束を着け、太刀を佩き、鉾をもって舞う。その舞い振りは気品高く勇壮である。
 破と急とが伝わっている。
散手と番舞(つがいまい)として「中門遷(うつり)の舞楽」といい、かつて興福寺一乗院宮、大乗院御門跡、春日社司らがこの間に出仕したという。
・抜頭(ばとう)=左舞
 天平時代に林邑(今のベトナム地方)の僧仏哲(ぶってつ)が伝えた曲で、舞人一人が裲襠装束で太い桴をもって舞う。  
猛獣を退治した孝子の物語を表わしたもので、太鼓と笛の部分は獣と格闘する場面、合奏の時は復仇を了え、山路を両手でわけつつ、喜踊して降ってくる状を表す。

・落蹲(らくそん)=右舞
 納曽利の二人舞をいう。枕草子に「落蹲は二人して膝踏みて舞ひたる」とあるのがこれで、南都楽所の右方舞である大神(おおが)流独特のものである。相撲の勝負舞として舞われ、抜頭と一対をなす。
 以上の三番(六曲)を走舞(はしりまい)という。

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