舞楽(ぶがく)その1
 舞楽は、飛鳥・白鳳から奈良時代にかけて古代朝鮮や中国大陸から伝えられ、わが国において大成されたもので、のちに日本で作られたものも含めて、その伝来や特徴から左舞及び右舞に分けられている。
 左舞は中国や印度支那方面から伝えられたもので、赤色系統の装束を着け、右舞は朝鮮地方や渤海国等から伝えられたもので、緑色を基調とした装束で舞われ、左舞は唐楽、右舞は高麗楽とも呼ばれ、演奏は普通、左舞・右舞を一対(番舞という)とし、その何組かが舞われるのが例となつている。おん祭では五番、十曲が舞われる。
 これらの舞楽は、天下の三方楽所といわれた京都、奈良、天王寺に伝わり、それぞれ特色ある芸能をうけついで来た。現在、宮中の楽部にはこの三方から楽家が奉仕されているが、奈良は春日大社を中心に社団法人南都楽所がこの南都舞楽の伝統をうけついでいる。
・振鉾節(えんぶさんせつ)
 舞楽の始めに舞われる曲で国土安穏、雅音成就を祈る。まず鉾を持った赤袍の左方舞人、ついで緑袍の右方舞人がそれぞれ笛の乱声に合わせて舞い、最後に二人が鉾を振り合わせる。

・萬歳楽(まんざいらく)=左舞
 隋の煬帝が楽正自明達に作らせたもので、鳳凰が萬歳と唱えるのを舞に表したものといわれている。慶賀の際には必ず舞われる荘重閑雅、気品の高い曲である。舞人は四人、赤の常装束に鳥甲を冠っている。

・延喜楽(えんぎらく)=右舞
 延喜年間(901〜22)に山城守藤原忠房が作曲、敦実親王が作舞したもので、高麗楽の形式によっている。四人舞。緑色の常装束で萬歳楽と一対となり、同じく慶賀必奏の舞である。

・賀殿(かてん)=左舞
 仁明天皇の嘉祥年間(848〜850)に遺遭唐使判官藤原貞敏が琵琶の譜によって習い伝えた曲に、楽人林真倉が舞を振りつけたといわれている。すこぶる変化のある動きの早い舞である。四人舞。袍の両肩をぬいだ形で、裾と前掛をつける。

・長保楽(ちょうぼうらく)=右舞
  (地久と隔年で奉仕)
 保曽呂久世利(ほそろくせり)を破の曲に賀利夜須(かりやす)を急の曲として一條天皇の長保年間(999〜1004)に一曲にまとめたもので、その時の年号を曲名としたといわれている。四人舞で、蛮絵(ばんえ)装束に巻纓冠(けんえいかん)を着して舞う。
 以上の萬歳楽から長保楽までの四曲を平舞(ひらまい)という。

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